文学の有無
部屋が少しずつ調いつつある。テーブルがある、椅子がある、オイスターソースがある、ターメリックがある。余裕がなければターメリックは買わない。
いつも授業が終わって、料理をして、食べて、ふと時間を見ると一日がもう終わろうとしている。自分の考えとかをまとめるためにも日記を書きたいのだが、なかなか。読みたい本も数え切れずあるけど、なかなか読めない。建築の勉強を始めてからの方が建築の本を読む時間が減っているのはどういうことか。
東京ガスのサイトに伊東豊雄と石上純也の対談が掲載されている。
http://kenchiku.tokyo-gas.co.jp/live_energy/vol90.php
伊東さんが紹介している藤森さんの意見が興味深い。ミースに始まる抽象の系譜を今受け継いでいるのは石上純也だと。そういう視点は面白くて、極端な批判をしている人はちょっと大人気なく思う。
最近読んだ本
『箱男』:箱男から建築について考えられないかなと思案している。箱男の社会における存在とか、箱男を箱男たらしめた社会とか。文学を建築的に解釈してみる。宮沢章夫さんの影響が大きいが、文学の有無ということをよく考えるのだ。最近これは非常に重要なことだと思っている。
- 作者: 安部公房
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2005/05
- メディア: 文庫
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