世代など今問題にすることなのか

寒い。東京の冬がこんなに寒いとは。来週大阪に戻るので、もっと暖かいことを祈る。

束芋 「断面の世代」横浜美術館:僕と10歳も変わらない作家が世代について語るこの違和感は何だ。時代感ではなく世代感を、現代において敢えて語ることに意味があるのか。それよりも、26歳である僕には、自分達の世代、のような総体的なことを意識することは全く無いが故に覚える違和感。この事を話していると、30後半くらいになれば世代という感覚が分かるような事を言われたが、果たしてそうか。世代像は、前の世代との比較によって浮かび上がるのだろうけど、浮かび上がるほど顕著な差異は今後生まれるのだろうか。束芋の語るような個の世代に関して、世代で語られるものではなく時代で語られるものではないか。個の意識というのは、束芋以後の20代、10代にも通底している感覚ではないか。というような事を観終わってから数日間考えている。僕にとってそうした問題提起になっているので、この企画展に行って良かったと思う。作品も面白かったが、どこか希薄、なのは上述した違和感からだろうか。


「内井昭蔵の思想と建築 自然の秩序を建築に」展世田谷美術館:通常の展覧会のように展示空間を小さく仕切っていなかったのは、この建築家の設計した美術館を見せるためと考えられ、このように美術館の内部を観る機会は無いので貴重だったのだが、展示方法という観点では、変化が無いので間延び感があった。そして、一つ一つの図面を見出すと相当時間がかかるのに、休憩できるような椅子も無かったのはしんどかった。休憩なしで100作品観るのは、足もしんどくなり、集中力も切れてきてしまう。2時間くらいいたが、後半はエネルギーが完全に切れていってた。しかし、そうして一連の作品を観ていくと、内井昭蔵の設計に通底するものが感じられるのだが、限定的な写真と図面だけでは、それが正しい見解なのかは分からない。地方に散らばる建築を実際に観に行きたいもの。


ペドロ・アルモドバル抱擁のかけら」:序盤、これはアルモドバルついにやってしまったのではないか、と思っていたが、終盤に向かうにつれてどんどん良くなっていった。引きちぎられた無数の写真が写されたシーンと映像の上に手が重なるシーンの映像の美しさと、ラストに感動してしまって、結果として良い作品だったように思えてしまう。思えてしまうので良い作品だったのだろうけど、オール・アバウト・マイ・マザー以降の作品群と比べると見劣りする感はあるか。http://www.houyou-movie.com/


ロトザザ「エチケット」:体験型パフォーマンス作品。空間の捉え方が面白くて、劇場でなくても、カフェのテーブルでも日常はいつでも非日常に変えられるような捉え方。日常の感覚を揺さぶるのに形式ばった空間は必要無いという態度に心地よさを感じる。とても面白い内容だったけど、ちょっと翻訳に難点あり、か。オリジナルの英語でやればな、と男性の独白を語りながら残念に感じていた。http://rotozaza.parc-jc.org/etiquette/index.html