場踊り

土曜日、京都へ朝から向かう。
art zoneにて、平間至の写真展「田中泯−場踊り−」を観る。手を地面に付けてた写真が印象的だった。
http://www.artzone.jp/jp/exhibitions/75hirama/index.html
夜は近江八幡にて、ブレス・パッセージ2008、姜泰煥×大友良英×田中泯のセッションを観る。地酒を戴きながら。
田中泯の踊りを観るのは「透体脱落」以来だが、舞台の時とはかなり違う。何故こんなにも心揺さぶられるのだろう。以下、自分なりに整理。
吾妻橋ダンスクロッシングのプロデューサー桜井圭介等が語る、「西麻布ダンス教室」を参考。

西麻布ダンス教室―舞踊鑑賞の手引き

西麻布ダンス教室―舞踊鑑賞の手引き

この本で、桜井さんはダンスと建築を結びつけて話している箇所(フォーサイスへと続くバレエの流れ)がある。
そこを読んだ時にすごく衝撃を受けたのだが、身体の運動のフォルムと建築のフォルムの類似性の言及は、建築が僕にとって身近なものに感じられたきっかけとなっている、ちなみに。
この本では舞踏についても書かれているが、舞踏(特に暗黒舞踏)は他の表現手段との結び付けがかなり難しいものではないだろうか。
田中泯についても、他の表現に決して置き換えられない踊りである。では、田中泯の踊りは独立したものか?
ここで「場踊り」について考えるが、場で踊るのでなくその場を踊るということは、環境との関連なしでは考えられないのでは。今回の場合の環境は、建築物や大友さん達の音楽であるが、その動きはフォルムの一体化などでは決してない。
踊るという行為を通して建築や音楽と対話する田中泯の「人間」像が鮮明に浮かび上がってくる。そこに心揺さぶられてしまう、のかもしれない。
無い頭で考えるのは、これが精一杯。文字にするとすごく嘘くさくなるが、とにかくよく理解できていないが、すごく感動してしまったのだ。
姜泰煥・大友良英の音楽も感動してしまった。大友さんに関しては、YCAMでやるインスタレーションがすごく楽しみである。
ちなみに後ろの座敷席からの立見は見晴らしがすごく良かった。スタッフの方、板を踏み破ってしまってごめんなさい。
田中泯のダンスに関しては、
ウミヒコヤマヒコマイヒコ―田中泯ダンスロードインドネシア写真集

ウミヒコヤマヒコマイヒコ―田中泯ダンスロードインドネシア写真集

これ、映画はDVD化されないのだろうか。


ダンスと音楽のセッションと言えば、3月に国立国際美術館で、エミリー・ウングワレーの絵画をバックに内橋和久と岡登志子のセッションがあったが、これはちょっと内橋さんが困っているように感じてしまった。絵画が強過ぎたからだろうか。
その国立国際美術館で、今開催している「液晶絵画」だが、ここの、そして関西の現代美術の企画展でこんなに人が入っているのにびっくり。今の時代、映像はやっぱりうけるのだろうか。
面白かったのだが、ほとんどの作品の時間軸がスロウなのに人の動きが速くて気にしてしまう。
森村泰昌はかっこいい。鷹野隆大も面白い。なのに、液晶絵画にどこか物足りなさを感じてしまうのは、映像に身体が介在するダムタイプのような存在があるからだろう。

僕の大好きな映像作家はシリン・ネシャットなのだが、この人の作品は最近日本に来てないのだろうか。
広島市現代美術館での個展から、もう3年になるな…