建築の終わりと始まり
台風も来なかったし、走る。昨夜はBAJOFONDOで走る。良いリズム。
- アーティスト: Luciano Supervielle
- 出版社/メーカー: Verve
- 発売日: 2005/07/04
- メディア: CD
- クリック: 2回
- この商品を含むブログ (1件) を見る
それにしても、BAJOFONDOのライブ行きたい。平日月曜はさすがに無理。conversationの皆様、おそらく人手足りてないのは重々承知ですが今後は関西でも。
今夜も走れ。VANISHING POINTで走れ。
- アーティスト: Primal Scream
- 出版社/メーカー: Reprise / Wea
- 発売日: 1997/07/15
- メディア: CD
- この商品を含むブログ (19件) を見る
読み終えた本:「建築の終わり」
岸和郎・北山恒・内藤廣の同年代3人の建築家の対談。
アーキテクトを志す人はもちろんのこと、建築に関して知識がない人にも近代・現代の社会、そして未来を考える上でお勧めだ。
- 作者: 岸和郎,内藤広,北山恒,ギャラリー間
- 出版社/メーカー: TOTO出版
- 発売日: 2003/05
- メディア: 単行本
- クリック: 2回
- この商品を含むブログ (4件) を見る
「コンビニに行くと何でもあると思っているけれども、置いてあるものしか買えないという事実に誰も気がつかない。おそらく『私』の集合体には共同体がなくて、人は共感を求めない。
『私』であることを、閉じた世界のなかでの自由を謳歌している。イデオロギーが消滅する原因は、そこにあるのではないだろうか。(179頁)」
これは一般論で語られているが、こうした建築的状況が”建築の終わり”であると言えよう。違ってたらどなたかご指摘を。
内容は、3人の建築家がお互いの意見に対して真っ向から論議している。それらが非常に機知に富んでいて読書が止まらない。褒め合うわけでも貶し合うわけでもなく、包み隠さずそれぞれの建築観を論じ合っている。
こういう言い方しかできないのが情けないが、とても勉強になった。
メモとして最も印象に残っている一つ、北山恒の発言を抜粋:
「多様で多層な社会のなかで、それだけに注目して話をするのではなく、その対象の位置にあるものを絶えず見ていかなければならないんじゃないか。メディアは絵になる建築に焦点を当てて、
『建築』という世界の構造をつくる。そんな捏造に対して批評的でいたい。WTCやビルバオが建築を表象するものではなくて、その対象にあるものが大事な意味をもってくる。
何でもない、あたりまえのものに見えているなかに、私たちの生活を大きく変える事柄がある。ひょっとしたらそこから『建築』が始まるかもしれない、と僕はそんな気がしています(147頁)」