語ること

『ニッポンの思想』を読んでから、語るということについて考える時があるが、佐々木敦が80年代以降の思想について語っていたのは、自身の体験をもって語れるのが80年代からだからとのこと。そこが、この本を質の高さを維持できている要因だと思う。思想学とは関係なく、僕の場合、何か語れるのはゼロ年代以降で、90年代は厳しい。95年のオウムの事件は、怖いということしか考えられなかったと思う。あるいは、気が狂ってしまった頭の良い人たちがいる、とか思っただろうか。9・11の事件は、僕が大学受験の時で、もちろん強い恐怖感を抱いたが、事件に対する思考の幅は格段に違う。複雑な状況をそれなりに思案していた。実感、実体験を基とした語りの強さ。語り部の重要性などを今更ながらに痛感している。


最近観た展覧会
「卒業設計日本一展 2009」ギャラリー・間:今まで訪れたギャラ間の展覧会で一番鑑賞者が多かった気がする。各展示作品のポートフォリオが閲覧出来たことは良い勉強になった。コンセプトは面白くても、説得力に欠ける一方向で個人的な枠を出ない作品も見受けられ、それはそれで勉強になる。特別賞をとっている下宿都市は面白いんだが、残念ながら、これぞ、と思える作品はなかった。
所沢ビエンナーレ美術展「引込線」西武鉄道旧所沢車両工場:工場という施設は、どこまでが作品か分からなくなるような、作品と場の境界線を曖昧にするの面白い空間であり、それを上手く使っている作家がもっといても良いのにと感じた。露骨だとまた違うのだが、したたかに実践してる作家の作品はやはり面白かった。この話とは全く別次元で、増山士郎という作家の作品提示に心を打たれた。したたかな訴え。入場無料は凄いけど、ワンコインくらい取っても良いように思う。