「この時代に想うテロへの眼差し」読了

先週末、京都造形の公開講座に行った後で知人の展覧会を二つほど覘く。この時期の京都バスはなるべく乗りたくない。

■大学時代の恩師が出展していた写真展へ。京都の町屋を利用した喫茶店の二階に設けられた展示スペース。 最近、著名アーティストの作品展ばかりニュートラルな展示空間で観ていた気がし、こうした手づくりの展覧会はほっとするものである。大学時代に搬入・搬出を手伝っていたのを思い出した。 訪れた時に、ちょうどお互いの作品の批評会をしていたのに感動した。個々人の間で作品について話し合うことはよくあるも、批評会という形できちんと時間をとって、各々が作品についての説明をしてから質問・感想を述べ合うのは素晴らしいと思う。学生間だとこういう当たり前のことがすごく難しかったりする。作品に関しては荒さは否めないが、対象にきちんと向かい合っている姿勢が感じられる。そうじゃないと、説明なんてなかなかできない。恩師の作品にしてもそう、展示作品全体を観ていると試行錯誤を重ねているのが分かる。これからもっともっと面白いものになっていくのだろう。


■学生時代に通っていたアトリエの展覧会に足を運ぶ。多様なベストやジャケットに刺繍が施されていたものが展示されており、教えを請うていた師匠の作品はさすがに凄い。どの展覧会に行った時でも、その度に改めて驚かされてる気がする。生徒は昔に比べて平均化してしまってる印象、昔はもっと個性が強かったのに。展示スペースが閉まった後少しお茶をしながら話していると、半ば強引に来月の展覧会への出品が決まってしまった。時間もないので、構想を練っていかないといけない。


最近読み終えた本
「この時代に想うテロへの眼差し」

この時代に想うテロへの眼差し

この時代に想うテロへの眼差し

建築家内藤廣が若い世代にお勧めしていた著作。宮沢章夫も最近大学の授業でソンタグの著作を使っていたようだし、アニー・リーボヴィッツの映画ではソンタグがかなり重要なポジションを占めていた。何故かここ最近になってソンタグが目についていて、ようやく手に取った一冊である。
内容について、ソンタグの言葉について僕がどうのこうの言えないが、周囲の状況に対するソンタグの真摯な姿勢・思慮深い態度がこの本に書き記された言葉からありありと伝わってくる。今の僕では読み取れてない部分も多々あるだろうが、それを差し引いても刺激的な一冊である。大江健三郎との往復書簡で、ソンタグ大江健三郎に宛てた2回目の手紙を読むだけでもこの本を買う価値は十二分にあることを実感する。内藤廣は、「大江健三郎がいかにひ弱かということも分かる。日本的な思考の限界をまざまざと見せられた気がした(『建築の終わり』210頁)」と指摘しているが、僕にはそれよりもソンタグの知性、社会に対する熟慮が際立っていたという印象。ただ、わが国の若者たち=Young Japanese menはあまりにもお粗末だ、大江健三郎。"サラエヴォゴドーを待ちながら"には強い共感、感動(という言葉が正しいのか)を覚えた。"戦争と写真"は、あまりにも多くのことが示唆されていた。これからの半年くらいかけてソンタグの言葉を読み解いていきたいと思う。ちなみにこの本は翻訳が非常に素晴らしいと感じたのは僕だけだろうか。


最近小説を全く読んでないのでかなり衝動に駆られている。が、次は上野千鶴子だ。


最近観た映画
ヒトラーの贋札」:映像が果たし得る役割を考えた時、こうした作品は回答の一つであると考える。「善き人のためのソナタ」と並んでお勧めしたい。

ヒトラーの贋札 [DVD]

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トレインスポッティング」:2.3年ぶりに観たが、何度観ても良い映画です。

「カウガール・ブルース」:ガス・ヴァン・サントの初期作品に分類されるのだろうか。イケてるB級映画とは言えません。ガス・ヴァン・サント好きだが、これはあまりお勧めできない。

カウガール・ブルース [DVD]

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